load-recordでは、音楽制作を続けながら、現在その過程そのものの記録も行っています。
完成した曲だけではなく、何を見たのか、そこから何を考えたのか、どこで判断が変わったのか。
そうしたものまで広い意味での「record」として残しておきたいと思っています。
将来、それらをもう一度Loadし、新しいAIやSoftwareで解析したり、別の形に再構成したりできるかもしれない。
そのための記録には、今のところ
・GitHub
・Markdown
・Obsidian
を使っています。
1. 記録を閉じ込めず、変化そのものを残す
Markdownが記録の実体で、Gitが変更履歴を持ち、GitHubに保存する。
Obsidianは、それらを見るための窓のようなものです。
大事なのは、Obsidianの中に記録を閉じ込めないこと。
仮に数年後、別のEditorを使うようになっても、MarkdownのTextはそのまま残る。
さらに10年後、今とは違うAIやSoftwareが登場したとしても、Plain Textであれば読み込ませやすいからです。
今使っているApplicationに最適化するより、未来から読み返せる形で残しておく。
これは、弾き語りDemoを完成品として固定するのではなく、未来に再利用できるSourceとして残しておくというload-recordの考え方とも近い。
記録は今の時点で大きく、inbox、seasons、worksに分けています。(2026.09.16現在)
inboxには、その日に見たことや思ったことをそのまま書く。
ただし、観測と着想はなるべく分けるようにしています。
例えば、
「夕方、急に風が冷たくなった」
というのは観測で、
「何かが終わる瞬間は、その瞬間には分からないのかもしれない」
というのは、そこから生まれた着想です。
この二つを最初から一つにしてしまうと、後から残るのは解釈だけになってしまう。
見たものと、そこから出てきたもの。
両方を残しておけば、数年後には別の読み方ができるかもしれない。
もう一つ決めているのは、過去の記録をなるべく書き換えないことです。
後から「あれは違っていた」と思っても、昔の文章を修正するのではなく、現在の記録として追記する。
最初にどう考えていて、後からどう変わったのか。
その差分自体もrecordだからです。
完成した結論だけを残すのではなく、判断が変わっていった過程も残しておく。
Gitの履歴も含めて、最終状態だけではなく、そこへ至る途中も記録の一部として扱っています。
2. 七十二候を、制作の外部クロックとして使う
約5日ごとには、七十二候を目安にして、その期間の記録を読み返します。
ここでも「何があったか」と「そこから何が育っているか」を分けて考える。
さらに約15日、二十四節気くらいの周期で、形になりそうなものがあれば作品へ収束させる。
ただし、これは締切ではありません。
何も生まれない期間があってもいいし、半年かけて育つ着想があってもいい。
ここで七十二候や二十四節気を使っているのは、作品のテーマを季節に合わせるためではありません。
一週間ごと、月末ごと、といった均質なCalendarの周期だけで制作を区切るのでもなく、かといって気分だけに任せるのでもない。
自然の変化をもとに作られた暦を、制作を振り返るための外部クロックとして借りています。
制作周期そのものを、自然時間と機械的な反復の中間あたりに置いてみる。
今のところ、そのくらいの感覚です。
3. Softwareは、Loopの後から現れる
そして、この仕組みでは今のところ専用ツールを作っていません。
記録専用のApplicationも、作ろうと思えば作れると思います。
候の名前を自動入力したり、過去の着想を一覧化したり、AIに次の作品案を提案させたりすることもできる。
でも、今は作らずに運用しています。
load-recordでは、Softwareを最初に考えるのではなく、実際の制作Loopを何度も回したあとで、そこに繰り返し現れる作業やfrictionからSoftwareを抽出したいと考えています。
毎回同じことをしている。
毎回同じ場所で手が止まる。
この変換が面倒だ。
ここはAIに任せたい。
ここだけは人間が判断したい。
そういうものが実際に見えてきたとき、初めてSoftwareにすればいい。
だから、このRepositoryにも、まず2026年いっぱい使ってみて、壊れたところだけ直すという考え方を適用しています。
必要なものを想像して先に作るのではなく、実際に使って、不便が観測されてから作る。
作る。
記録する。
繰り返す。
Patternを見つける。
Methodにする。
必要ならSoftwareにする。
専用ツールがまだ存在しないことも含めて、今のload-recordの設計なのだと思っています。