糸井重里さん(ほぼ日・5月26日)より:
【〈漫才という形式と、フィクション。〉 漫才という表現のかたちが、いまの時代にとても有利なのは、隣にいるなかまが「ツッコミ」をしてくれるからだ。だから、ボケ担当のメンバーは、非常識なことも、バカなことも、無責任なことも、なんなら危険なことさえも言えてしまう。】
糸井さんの話しの前半、「漫才とツッコミ」の話が面白かった。
最近『日本エッセイ小史』を読んでいて、
ちょうど昨日から「文章を書くにも場や相手(あるいは対象)が必要なのではないか」と
考えていたところだった。
漫才には最初からツッコミという聞き手がいて、その場で文脈や距離感が調整される。
一方で文章は基本的に一人で書くものだから、その「相手」をどう想定するかが難しい。
時事的な対象に向かうものはコラムと呼ばれ、
もう少し内面的な思索に向かうものがエッセイと呼ばれるらしいけれど、
どちらも結局は何かしらの「対象」との対話なのかもしれず
その意味ではエッセイとは「自分の中でツッコミを想定する」ことで成立する形式なのかもしれない。