糸井さんの「たった20年で、この小箱が。」を読むと、
スマホは単なる便利な端末ではなく、かつて旅に持ち歩いていた
本、音楽、カメラ、財布、手紙、電話、映画館までを、
ひとつの小箱に圧縮した"文明の思い描いていた夢"なのだということがわかる。
この20年弱の変化には、ひとつ象徴的な節目がある。2008年6月9日、
サンフランシスコの Moscone Centerで発表されたiPhone3Gだ。
スマホはここで携帯電話の延長から、通信・アプリ・同期を前提にした
「世界への窓」へと一段進んだ。
ただ、夢そのものはもっと古い。
1970年代、アラン・ケイが描いたダイナブック構想は、
読む・書く・学ぶ・作るを一台に収めた持ち運べる知的メディアを夢見ていたし、
ユビキタスの思想は、コンピュータが生活に溶け込む未来を描いていた。
そしてクラウドという技術が、スマホを端末単体ではなく、
サーバーの「向こう」に広がる巨大な「世界への入口」に変えた。
だからこそ、いま世の中に起きているのは「スマホ離れ」というより、
情報と通知に囲まれ続けた末のスマホ疲れなのだと思う。
必要なのは道具を捨てることではなく、過剰接続から一度離れ、
注意力を回復するための小さな「切断」――
最近言われている、アテンション・デトックスなのだろうと思うし、
逆説的に言えば、糸井さんの仰っている「離乳」とは、
人類が夢から覚めて 次のステップに進むために必要な
ひとつの「幼年期」の終わりのようなものなのだと思う。